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これがきたら今晩はドンチャン騒ぎだと吹いたって、そんな体力は残っていない。だいたい「ドンチャン騒ぎ」なる言葉自体、周りに理解されているかも怪しい。アナクロな言葉を振り回して自滅してゆくうるさ型は傍観されるのみだ。
ドンチャン騒ぎなど一つもなかったのに、くたくたになって帰宅した。一晩寝てもだるさの抜けぬ身体で競輪中継を見ている。つい昨日までいた松阪競輪場が映っている。
特別競輪への出張の帰路、列車や飛行機が東京駅や羽田空港に着いたときによくこんな冗談を言う。外へ出たらまた○○(数時間前までいた競輪場のある街)だったらどうする。前検日なんだよ、まだ。もう一回最初からやるわけ。
椅子の上でうたた寝したくなる。目を閉じ覚めたら松阪競輪場の記者席だったりして。それもありだ。
松阪といえば松阪牛となるのだろうが、少し西下すれば伊勢神宮もある。
伊勢神宮といえば映画「砂の器」だと記せば、何のことやらと返されるのが落ちか。
伊勢参りのあと急遽予定を変えて上京した三木謙一の他殺死体が発見されて映画ははじまる。殺された三木と加害者和賀英良の過去を丹波哲郎扮する今西刑事が結びつける。丹波が朗々と逮捕状請求をする捜査会議のクライマックスシーンはサントラ盤にも収録されていて、それをカセットテープに録音しカーステレオで流していた友人は、ほとんどのセリフを暗唱することができた。その影響でぼくも幾つかのセリフをまだ忘れないでいる。もう何年も逢ってないけど、友人は元気に暮らしているだろうか。
話が逸れた。それとは別の友人の口癖は「競輪の華は準決だ」で、「玄人は準決なんだよ」と決勝の前日を好んだ。その友人にも暫く逢っていない。友よ、今日はその準決だ。いまごろどこかの競輪場へ歩いているか。
附録。 三日前の十月三十一日、前検の仕事を終えて伊勢神宮へ参った。五十鈴川駅まで歩く途中、ギャンブルに御利益があるという猿田彦神社にも寄った。同行のH君が引いたおみくじは大吉で、「第二四番」の通し番号が印字されていた。帰りの酒場で「二四」とは枠番の二四なのか車番なのかの討議がなされ、枠単・二四という統一見解が提出された? 二日間二十二レースで枠単二四の出現は一回のみ。しかも四百九十円の一番人気だ。「二四」の縛りに惑わされている男たちの車券成績は推して知るべしだろう。